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平安時代初期の大同2年(807年)、坂上田村麻呂が建立した毘沙門堂が始まりと言われる五大堂。「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」という5つの明王像が安置されており、それが「五大堂」の由来となっています。現在の建物は江戸時代にあたる慶長9年(1604年)、伊達政宗が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。東北地方では最古の桃山建築とも言われ、松島湾と絶妙に調和しているその景色は必見です。
平安時代にあたる天長5年(828年)、慈覚大師円仁によって開創されたと言われ、当時は延福寺と呼ばれていました。現在の建物は伊達政宗が江戸時代の慶長14年(1609年)に約5年の歳月をかけて再建させたもので、本堂や寺院の台所である庫裡(くり)は国宝となっています。伊達政宗本人も造営に関わったとされ、桃山文化の職人技を結集させた、伊達家の菩提寺として今もなお荘厳さを失わない歴史的建物です。
約350年前に造られた心字の池を中心とした石庭があります。重要文化財の三慧殿は19才で急逝した光宗の霊廟所で、その死をいたんで極彩色の家形厨子が安置されています。そこには支倉常長がヨーロッパから伝えたと言われるバラや十字架が描かれています。
観瀾亭は、伊達藩の歴史と深い関係がある茶室です。伊達政宗が豊臣秀吉からもらい受けた茶室を江戸の屋敷に移し、さらに二代目藩主忠宗が松島に移築したと言われています。納涼や接待用施設として別名「月見御殿」と呼ばれ、御座の間にある障壁画は国の重要文化財になっています。縁側では松島湾を眺めながら抹茶や和菓子を味わうこともでき、心穏やかに優雅な時間を過ごせる観光スポットです。
260余りの島々が浮かぶ松島湾には眺望の良さで知られる場所が4ヶ所あり、それらを合わせて「四大観(しだいかん)」といいます。それぞれの眺めは「壮観」「麗観」「偉観」「幽観」と呼ばれ、いつの時代も訪れる人々を魅了してきました。また、「世界で最も美しい湾クラブ」への加盟を日本で初めて果たし、その景色の美しさは世界からも注目され始めています。
奥松島・宮戸島の展望台(大高森)から、松島湾と太平洋を360度の大パノラマで楽しむことができます。
富山(とみやま)の山頂にある大仰寺からの眺めは、まわりが杉や松などの大木に囲まれ、静寂な時間の中で眺望を堪能できます。
七ヶ浜町の代ケ崎の断崖から太平洋を一望できます。海沿いにある多聞山(たもんざん)に登って眺めると、その雄大さは一目瞭然です。
双観山の背後にある高台山頂からは、松島湾の入り江が扇形に見えます。松島の全景も見ることができる絶景スポットです。
島全体が県立自然植物園に指定されている福浦島。島内は自然遊歩道を歩いて30分ほどでまわることができ、季節ごとに違った草花を楽しめます。弁天堂や見晴台、あずま屋などもあるので自然散策にはピッタリです。松島海岸からは全長252メートルの福浦橋を渡って行くことができます。海の青色や木々の緑色の中にいっそう栄えて見える朱色の橋は、「出会い橋」とも言われ、素敵な出会いが訪れると伝えられています。
雄島(おしま)には50ほどの岩窟があります。かつては108の岩窟があったといわれ、修行僧らが死者の浄土往生を祈って彫った仏像や法名などが残されています。ここで修行する僧たちは俗世との縁を絶ったという由来から、雄島に渡る朱い渡月橋(わたつきはし)は「別れ橋」とも呼ばれます。まずはこの橋を渡って悪い縁を絶ち、出会い橋と呼ばれる福浦橋で良い縁とめぐり会い、最後に縁結びの橋である五大堂の透かし橋を渡るのが良いと伝えられています。